場としての教育

教育と一言に言ってもいろいろあるので、もうちょっと具体的に見てみます。

きょういく けう― 0 【教育】

(名)スル

他人に対して、意図的な働きかけを行うことによって、その人間を望ましい方向へ変化させること。広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。その活動が行われる場により、家庭教育・学校教育・社会教育に大別される。
「子供を―する」「義務―」「―のある人」

大辞林

辞書にも書いてあるように、場によって家庭教育、学校教育、社会教育の三つに分けられます。
主に家庭教育では礼儀や道徳を、学校教育では知識や教養を、社会教育では技術を学びます。
勿論、実際はこのとおりではなく、これは理想的なものと考えてください。
日本の場合は学校教育の場で全てをこなさなくてはならない状況です。
しかし箸の持ち方等は学校で教える必要はあるのでしょうか?


私が思うに、学校では教師は特別な存在ですし、ほとんど歳の近いものとしか付き合うことがありません。
習い事(社会教育)をすることでは、例えば囲碁や将棋で、小学生からご老人まで年齢の幅がある付き合いをします。
その中で技術だけではなく礼儀を教わることもあるでしょう。
そういったのは学校という場では無理じゃないかと思います。


また、自身の子供を他人任せにしていいものかと思うことがあります。
人任せにする理由は親自身が教える自信がないということらしいです。
それでも、何か教えるのではなくても、伝えることがあると思います。
一緒に公園で遊んだり、一緒にゲームをしたり、そんなことでもいいんじゃないのかな。
そんなことをする中で、自然と子供が学ぶことがあるのではと考えています。
(勿論子供から教わることもあるでしょう)


教育ってそんなにたいそうなものかなぁ。